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| お可免の歴史 |
![]() 昭和2年、現在の地に創業。 初代の女将は、当時では珍しい女性の板前で あった。創業以前は、弥生町あたりで屋台のおでん 屋を営んでおり、おでん屋では欠かせない<茶飯> からヒントを得て釜めしを思いついたという。 釜めし・天婦羅・刺身・柳川と今でも定番の 人気料理などは、女将自ら市場へ仕入れに行き 調理していた。 第二次世界大戦の横浜大空襲の時は、 全て焼きだされ残されたものは、真っ黒にこげた鍋と小銭の塊だけであった。 |
![]() しかしバイタリティあふれていた店主は、 戦後1年足らずで木材もかなり不足していた状況の中、 新潟より腕の良い大工を呼び寄せ、しっかりとした木造 2階建ての店舗及住居を建て替えた。 その後は横浜の老舗<横浜のれん会>の設立発起人に 名を連ね、戦後の混乱期をたくましく乗り切った 以前の伊勢佐木町は、映画館や演芸場などが多く、 芸能人が来店することもあった。 エピソードとしてはプロレスラーの故力道山が、 当時では 珍しいオープンカーで来店し、 大勢見物人が店前に来たという。 |
![]() 店内にある千社札は、約55年前に 店を建てた時にいただいた品である。 当時、二階のお座敷には芸者さんを呼ぶことが多く、 太鼓持ちの方に頂いた物、鮨屋連合の方から頂いた物、 魚河岸から頂いた物である。 今では珍しい品となっている。 老舗の味を受け継ぎ、伝えていくには努力が必要であり、 困難な事も多い。 しかし、先代の想い、お客様の「おいしかった。」と言って 頂いた時の顔を忘れずに、時代は変わっても味を変えずに 続けて行きたい。 店 主 |